「話すのは正直、苦手分野なんですよ」
「我其實不善言辭」
「個性とは、得意なものを磨くことで生まれる」と思われがちですが、苦手意識のあるところから生まれる、唯一無二の個性もあるのかもしれない——。そんなことを、ジャニーズ司會者の先駆者・中居正広の人生は教えてくれます。
很多人都覺得「個性,是從擅長的事情中打磨出來的」,但也有克服自己的不擅長、打造出獨一無二個性的情況。作為傑尼斯中主持人先驅者的中居正廣的人生可以說是完美詮釋了這種可能。
紅白歌合戦の司會者、オリンピック特番のキャスター……と、あらためて言うまでもなく、司會者として唯一無二の立ち位置を摑つかんだ中居正広。その司會術は天才的にすら見えるかもしれません。
紅白歌會主持人、奧運會特別節目主播…輝煌歷史無需贅言,作為主持人的中居正廣擁有獨一無二的地位。而他的主持才能在他人看來是與生俱來的天賦。
しかし、中居自身は「話すのは正直、苦手分野なんですよ」「こう見えてもパッと言葉が出てくるタチではなく、記憶力も悪いのは自分でもわかっている」「器用じゃないんで、咄嗟に出てこない」と語ります。バラエティ番組でのトークは即興的なもの、という印象が強いため、どうしても先天的な才能に見えてしまいがち。ただ、中居に限っては、そうではないのです。
但中居卻這樣評價自己「我真的不擅言辭」「 不要看我這樣,我其實很清楚自己不是那種瞬間就能作梗有所回應的人,記憶力也不好」「因為不得要領,所以不能瞬間做出反應」。綜藝節目的談話總給人是即興發揮的感覺,所以讓人覺得主持人是有先天的談話才能,但中居並不是這樣的。
ジャニー喜多川も「自分で個性を作っていく」人として中居の名を挙げ、「中居君なんか、最初はものすごく二枚目というか、まじめでねえ。あそこまでしゃべれる人間でもなかったし、おとなしかった」と語ります。
傑尼斯喜多川也認為中居是「自己創造出了個性」,並說「中居君最初很是帥氣且認真,並不是能說會道的人,一直很安靜。」
現在の中居からすると隔世の感がありますが、現在の立ち位置は、デビューしてもすぐにはブレイクせず、「もうこのまま終わっちゃうんじゃないかって」不安だった中居が、10代の頃から意識的に狙い、戦略的に作り出したものなのです。
那時候的中居和現在對比來看彷彿不是一個人,如今這個能說會道擔任主持人的中居,是出道沒能紅出來,因此感到不安,認為「偶像生涯可能止步於此」的他從十幾歲開始有意識地,戰略性地打磨出來的形象。
アイドルの非常識を常識化した男
將對於偶像來說不合常理的事情變成常態的男人
今でこそ、嵐の櫻井翔や、V6の井ノ原快彥、TOKIOの國分太一……と、司會のできるジャニーズ、バラエティに出演するジャニーズというのは珍しくありませんが、その先駆者となったのが、SMAPの中居正広です。
如今傑尼斯中能主持能上綜藝的偶像並不少見,嵐的櫻井翔、V6的井之原快彥、TOKIO的國分太一……,但他們的先驅者是SMAP的中居正廣。
自分でも「アイドルがバラエティに出るという『非常識』を常識化できた」と自負するほどで、これは、SMAPより前のアイドルの主戦場が歌番組だったことを考えると、決して誇張表現ではありません。
SMAP之前的偶像的主戰場是音樂節目,而中居引以為傲的「(是他們)讓偶像上綜藝這件事從不合常理的事情變成常態」是毫不誇張的事實。
その一方で、日本のシングルCD歴代売上げランキングトップ10という記録を持ちながら、こんなにも「音痴」であることが広く認知されているアイドルも他にはいません。もちろん、知られているのは、隠していないから。自分からネタにしているからです。
另一方面,從來沒有偶像像中居正廣這樣,在保持著日本單曲CD銷量歷代前十記錄的同時因為「音痴」而廣為人知。當然能到廣為人知的地步,是因為他從不掩飾這件事,自己玩起梗來特別溜。
例えば、歌番組などでは自ら「マイクのスイッチ入ってないよー!」と笑いにしていたこともありますし、コンサートでは「中居のソロ曲の時間をトイレタイムにしている観客が多い」ことをネタにした『トイレットペッパーマン』という曲を自ら作詞して歌っていました。
例如,在音樂節目中自己笑說「我的話筒連開都沒開!」,把演唱會時「有很多觀眾在中居唱solo曲時上衛生間」當成段子,自己作詞寫了一首名為「Toilet paper man」的歌。
あえて、歌を「できないこと」のままにしておく
特意維持「不會唱歌」的狀態
「歌って踴るのがアイドル」というイメージがまだ根強くある中で、ここまで歌が「できない」ことを明らかにする人はなかなかいません。
「會唱會跳才是偶像」這種印象根深蒂固,幾乎沒有偶像敢這麼說自己「不會唱歌」。
この自虐は単なる逃げではありません。むしろ、歌を「できないこと」のままにしておくというのは、中居の人生においては、かなり意図的な攻めの姿勢であり、考え抜かれた戦略なのです。
這種自虐並不是單純的逃避,其實對中居來說,坦白這件事是經過深思熟慮的,是有目的的進攻戰略。
「10代の頃から將來はバラエティでMCをやれるようになりたいと考えていたし、これがいつか新しいアイドルのひとつの形になるのではという予感があった」と、社會の変化も予測した上で、早い時期から自分の立ち位置を想像していました。
「十幾歲的時候就想過以後要在綜藝節目里當主持人,並預感這將成為未來偶像的一種存在方式」,中居著眼未來的社會變化,早早就為將來做了打算。
さらに、MCもできるアイドルになりたい、というのは単なる個人としての慾望ではありません。
而且中居想成為能主持的偶像,並非只是為了個人慾望。
「10代の頃から『本當におしゃべりができるようになりたい』とは思っていました。『一體自分の個性って何だろう?』というときに、自分がしっかりしゃべれるようになったら、それはSMAPにとっても大きな武器になるなと」と語るように、まずは他のメンバーが「できないこと」を、自分の長所として伸ばすことが、チームのためになることを意識しての決斷だったのです。
中居說「從十幾歲開始就在想『真的很想變得會說話』。在考慮『我的個性到底是什麼?』時,覺得如果自己變得很會說話,對SMAP會是極大的幫助」,是出於將其他成員「不會的事情」培養為自己長處的團隊意識而做的決定。
代わりに自分の「できないこと」は、チームの他のメンバーに任せることを意識します。
同時將自己「不會的事情」交給其他成員去完成。
「歌は他のメンバーに任せたほうがチームとして戦うにはいい。代わりにダンスは得意だから踴りで頑張るし、MCに適任がいないんだったら司會をやろう」とSMAPになってから思ったのだといいます。
「將唱歌交給其他成員,對於團隊來說是好事。反過來,自己擅長跳舞那就努力練習舞蹈,並且沒有合適的人可以擔任主持,那麼我就去做」這是成為SMAP之後的想法。
「(17歳)當時から『とにかくバラエティで、何番手でもいいからやりたい』と會社の人にすごく頼んでいたしね。大阪の番組やBSや朝の情報番組のアシスタントとか、二番手、三番手でコーナーをやらせてもらいながら、『おっきな番組の司會をやりたい』とずっと思っていた」
「當時(17歲)拚命拜託公司的人說『無論是什麼位置都好,想去綜藝節目試一下。』就這樣做了大阪的節目、BS的節目、晨間情報節目的助理主持等工作,一直作為二把手、三把手,主持著節目的小單元,但心裡想做大型節目的主持。」
結果、SMAPの中でも、最も多く冠番組を持つ存在になりました。25歳の時に、史上最年少で紅白歌合戦の司會者に抜擢、2004年からはオリンピックのキャスターを務めていることからも、その努力が大成功したことがわかります。
結果,中居在SMAP中也是擁有最多冠番的人。25歲成為當時史上最年輕的紅白歌會主持人,從2004年開始擔任奧運會主播,中居的努力獲得巨大成功。
苦手を得意にする準備法
將不擅長變為擅長的準備法
中居は今でも「事前にちゃんと準備ができないのは、怖い」「バラエティ番組ではゲストの資料は頭に全部入れておきます」と語ります。
即使是現在的中居也說「沒有事前做準備非常可怕」「綜藝節目要把嘉賓的相關資料全部記住」。
「プレッシャーを乗り越えるために一番大事なのは、準備をすること。バラエティ番組でも踴りでも、自分の中でシミュレーションし、準備を怠らないよう気をつけています」
「減輕壓力最重要的是做好準備,無論是綜藝節目還是跳舞,在腦海中作演練,提醒自己不要懈怠做好準備」
例えば、歌番組を擔當しているときは、2日前にはアーティストの情報やCDをもらって、曲を聴き、歌詞も熟読し、自分の感じたことをまとめます。そして、台本を書き込みだらけにしていく。もちろん音楽番組だけではありません。
例如,擔任音樂節目主持時會提前兩天找到歌手信息和CD,聽歌並熟讀歌詞,總結自己的感想,然後全部寫到台本上。當然不只是音樂節目,其他節目中居也會這樣做。
「どんな番組でも、あらかじめ台本をもらって、必ず目を通しておきます。前日の夜に台本ができる番組の場合、手元に屆くのは深夜になりますが、確認しておきたいと思うんですよ。ゲストの方の資料も目を通しておきたい。僕が質問する場合、どんなことが聞けるかな、と必ず準備しておく。やはり當日、スタジオに入ってばたばたするのは嫌なんです」
「無論是什麼節目,都會提前要到台本通讀一遍。即使有的節目台本前一天晚上才好,到我手上已經是深夜,也會提前確認一遍,還要提前了解嘉賓的資料,到了我提問的時候要問什麼,這些一定要提前準備。我不喜歡錄製當天心裡沒底地進演播室。」
中居正広の分厚いノートの中身
中居正廣厚筆記里的內容
象徴的だったのが、笑福亭鶴瓶とコンビで司會を務めた2007年の紅白歌合戦。台本を読まなければいけないなら引き受けないと主張していた鶴瓶に対し、中居は4時間超の台本をすべて頭に入れ、鶴瓶に後ろからおしりを叩いて合図するなどして、全體を引っ張っていたのです。
具有代表性的是2007年紅白歌會,中居正廣與笑福亭鶴瓶共同主持。鶴瓶和中居的主持風格相反,他表示如果一定要把台本全部記下來才可以,那他就不接這個主持了。因此中居把4個多小時的台本全部都背了下來,鶴瓶在前面發揮,中居把控全場,時間不夠的時候就在後面敲敲鶴瓶屁股暗示其快快結束。
そんな鶴瓶に「ふらっと來て、ふらっとやっちゃう」「うらやましい」と敬意を持つ中居と、中居に感謝する鶴瓶とのコンビは15年以上続いています。
鶴瓶總是「很輕鬆地就上台了,主持起來又遊刃有餘」,中居對這樣的鶴瓶感到「羨慕」並十分尊敬, 而鶴瓶也十分感謝中居,他們組合搭檔主持節目超過了15年。
そんな「準備の中居」を象徴するような道具がノートです。分厚いノートを1年に3冊ほど更新。そこには、気になる文章や言葉はもちろん、本を読んでいてわからなかった漢字、いいなと思った音は「◯◯の間奏の◯分◯秒目の音」といったレベルでくわしくメモをするのです。
而最能夠代表「準備到位的中居」的物品就是他的筆記本。本子很厚,一年基本要用完3本。本子中詳細記錄了感興趣的文章和話語,還有讀書時不懂的漢字,覺得不錯的旋律會詳細記錄「某某伴奏第幾分幾秒的旋律」。
他にも映畫の出演時には、撮影終了後に期間が空いてから行なわれるインタビュー用に、どんな質問が來ても答えられるように、撮影中から感じたことをメモしている、という少し先を見據えた準備も。
另外還有為了拍攝電影結束後接受採訪時,能回答出各種問題,而將拍攝中各種感受記錄下來,是著眼未來有備無患的努力。
中居は、本當は苦手だった話すことも、綿密な準備と努力により、克服していきました。そして日本の司會者の頂點まで登りつめていったのです。
中居通過周密的準備和努力,克服自己其實不擅長的事情,成為日本頂級主持人。
「本當の個性」を磨くために
為了能夠打磨出「真正的個性」
実は、10代の頃の半年間、月に6回、まわりに內緒で50萬円近く払ってボイスレッスンに通っていたという中居。ただ、レッスンの受講前と受講後に録ったものに変化が感じられず、あきらめたのです。
其實中居十幾歲時,曾瞞著周圍人花了50萬日元,接受為期半年一個月六次的聲樂訓練,但課程前後錄出來的成品並沒有明顯變化,因此放棄了唱歌這條路。
「この道には進まない」と決めるときも、ただ苦手意識があるからと漫然と切り捨てるのではなく、ちゃんとトライをしてから別の道に進む。
當決定「不走這條路」時,也不是輕易地因為自己不擅長而放棄,而是在認真嘗試後最終因為不行而選擇其他道路。
中居は過去を振り返ってこんな発言をしています。「『みんなと同じことをしない』という勇気が當時はなかった。自分のなかで協調性は大事にしている部分です。でもいまは、みんなと同じでなくていい、ときに敵をつくる勇気も持たないと、本當の個性は磨かれないと思っています」
中居在回顧過去時這樣說道,「當時沒有勇氣『做與別人不同的事情』,自己心裡還是覺得要與大家保持一致。但現在不這樣想了,和大家不一樣也很好,有時如果沒有站到所有人對立面的勇氣,也無法磨練出真正的個性。」
中居の司會術。それは、得意なものを磨いていったのではなく、苦手のものの中から、勇気を持って、努力と準備で磨いていった本當の個性なのです。
中居的主持技巧,不是從自己擅長的領域打磨而來,而是從自己不擅長的領域,鼓起勇氣,通過努力和準備而打磨出的真正個性。
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